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この曲は、自分が中学2年の時に吹いた曲で、50歳を越えた今も、音楽の原点です。
チューバの人が楽しそうに吹いているのが目に浮かびます!
作曲の藤田玄播先生から直接教わりました。一ヶ月に一度会うか会わないかという生徒の名前を覚えて、いつも<名前>で読んでくれる偉大な先生でした。数年後お会いした時も、「おお○○!」と名前で読んでくれました。心、ですね。「心」。またお会いしたいです。
暗くなったり明るくなったり、まさに思春期の若人という感じが曲調から溢れていて、ノスタルジックで心惹かれる大好きな行進曲です。
群馬では中体連の開会式入場で使われています私は中学時代にオーボエでやりましたちなみにオーボエはフルートやクラリネットと同じような役割をしています
今じゃもうコロナの影響で出来ないけどね…。というか確か今年のだいでもう、なくなってしまったような気がした
イベントある度にこの曲か星条旗か士官候補生か海兵隊でした次!若人!って顧問が嬉しそうに叫ぶの。んでこの曲を吹く。懐かしいなあ!
中学校の教員として吹奏楽部の指導にあたるようになって3年目の夏。コンクールには,県内大会のみのB部門にやっとこさ出ていた弱小バンドでしたが,この曲を選んで,初めて〈最優秀賞〉をいただいた思い出の曲です。私自身も,オンタイムでこの曲と出会ったわけではないのですが,おそらく大学の吹奏楽の授業で演奏したとき,どこかもの悲しいメロディーとトリオの美しいメロディーとの対比がとても印象的で,いつか自分でも演奏したいとおもうようになったのだと思います。この年の部員は,部長をはじめ,みんな真面目で,積極的に取り組む優秀な生徒たちばかりで,それにこのすてきな曲を選ぶこととにより,良い結果を得ることができたのだと思います。副顧問をしてくださっていた女性の先生がご結婚され,なんとコンクールの日が新婚旅行……。楽器運送のトラックから,部員を[運ぶバスの手配まですべて一人でやった年でした。あぁ。懐かしい……。20年以上前の思い出の曲です。
これぞジャパニーズマーチって感じ。初めて吹いた時にいつか聞いたことのある様な懐かしさを感じました。
あ~懐かしな群馬県中体連柔道部で行進したわ~(^○^)この曲大好き
中学時代、吹奏楽部に所属し、トロンボーンを担当していました。若人の心は卒業式に吹奏楽部の後輩が入退場の時に演奏するのが何故か定番でした。今思い出してみると、吹奏楽部で過ごし学んだ事は幼い頃から歌や楽器が大好きだった私にとって一番楽しかった時期だったかもしれません。忘れかけた自分の卒業式や憧れていた先輩を送る時の切なさ等を物凄く思い出しながら聴かせていただきました。
当時、ピッコロを吹いていました。30年の時を経て初めて藤田先生にお会いした時、当時の事をお話しすると、ピッコロのアドリブ部分を口ずさんで、「あれは、いい曲だった。懐かしい。」と笑顔で仰ったのが忘れられません。楽譜は既に有りませんが、またいつか吹きたいです。
やはり中体連の入場行進、炎天下の中ひたすら吹きづづけていたのを思い出します。まだ中学生で演奏技術も未熟だった中で、それでも運動部の入場を見守りながら本気で吹き続けた。青春の曲です。
とても懐かしい曲ですよ。中学3年の時吹きました。今でも暗譜していて多分吹けるないな‼️機会があったらまた合奏したいな~!機会がないよね‼️
入場行進に使っていたためエンドレスで吹き続けた記憶があります。軽く死にかける思いを毎年年に数回。もはやこの曲聴くだけでも息苦しくなる…。それでも懐かしくてなんだか込み上げてくるものがありますね。
1980年代前半、中学時代の3年間、吹奏楽部で何度演奏したか...1977年の課題曲だったんですね。今は楽器を吹いていませんが、とても懐かしい響きでした。アップ、ありがとうございます。
高校生の時、Euphでこの曲に参加した記憶があります。何と言ってもこの曲はTubaが目立っているのですが、導入部分に続く第一主題はEuph,Tbなどの低音楽器で始まるところが印象的でした。この部分では普段主旋律を担当するTpはまるでオーケストラのTpのようにリズムに徹しています。第一主題の繰り返しの部分では、Euphは主旋律の座を譲り、いつものようにカウンターに回るんですが、印象深く、躍動的な対旋律でした。本当に青春期の若者の心象風景のように揺れ動く旋律に心奪われる名曲です。トリオの明るいメロディーにもEuphは参加しており、とても気持ちよくフィナーレへと突き進みます。曲中数回繰り返す第一主題においては、Euphのカウンターの音型が微妙に異なっている箇所があり、うっかり間違えて指揮の先生に指摘されたことを懐かしく思い出します。
1977(昭和52)年全日本吹奏楽コンクール課題曲Dなのだが、中学ブラスバンドに入部した年に、ブラスバンド部が廃部になり、学校側から、お情けで、コンクールの地区予選+県大会に出場して、銅賞で悔いが残ったが、俺にとっては、最初で最後の思いで深い、楽曲でもある。今ではあまり演奏されないが此処で、聴けて、昔を思い出した。アップしてくれた、ユーザー様に、この曲をアップしてくれた事に感謝してます。ありがとう。。。
中一の時の課題曲で、弱小吹部でチューバが初心者の一年生しかいませんでした。これを聞いて今思えば、どうやってあんな大きな音で一曲通せたのか、本当に驚きます。田崎くん、あなたは偉かった!
完成度の高い曲です。曲目もぴったり。心に響く曲に時代は関係ないですね。
中学時代、運動会やお祭りのパレードで演奏したのを覚えています。2.3年がコンクールの練習している間、1年生は別室でこの曲練習してました。今聴いてもいい曲ですね。
今年一年を思い出す中で、忘れられないのが藤田玄幡先生がお亡くなりになられたことです。温かい心で指導してもらった思い出が蘇り、もうお会いできないかと思うと、最後にお会いしたく、お別れに行ってきました。出棺の時、みんなで合奏し歌ったのがこの曲です。いつまでも心に残るこのメロディーです。
1979年に函館の私の母校にやってきたことがあります。
コンクールではディスコキッドを吹きたかったけど、私の学校はドリアンラプソディーでした。でもこの曲は別口で覚えさせられたような記憶が…今聴くと、『ザ•行進曲』ですね♪RUclipsでこうして聴けるようになってから、この曲に歌詞がある事を知りました。本当に名曲だと思います。
懐かしい・・・涙が出てくる・・・
めちゃくちゃ懐かしい曲に巡り逢いました😂中学生の頃の想い出です。スネアのリズム、今でも覚えています🎵
いやぁ懐かしい~高校時代何回も吹いたっけなぁ~ちなみに僕はTbでした。日本の数ある行進曲の中でも、名曲のひとつだと思います。藤田玄旛先生のセンスの良さですよ!
私はユーフォでこの課題曲をコンクールで吹きましたが、演奏しやすくて気持ちよかったですよ。特に間奏の部分です。
う~ん身に染みる良曲‼
やったやった、このマーチ ! 中学3年のコンクール思い出します。この前当時の顧問の先生に出くわし、検索・・・・ちょ~~~感動。 ユーホのパート 今でもしっかり 覚えてる!!!
私の吹奏楽の原点、何十年ぶりに聴けました。青春が蘇りました。
今年脳の疾患で亡くなった弟の思い出の曲です。新品のパソコンで何も検索もしないで出てきたのはビックリです。もうろうとする意識の中曲を聞かせると口ずさんでいたのを思い出し涙です。
ディスコ・キッドと同じ年の課題曲だったんだよな…これって
行進曲の定番。吹奏楽部の私は、毎年この曲を演奏して今年で3度目。改めて、良い曲だなと思った。
課題曲でした。中学時代テナーサックスを吹いてました😊懐かしく思い出深い素晴らしい曲です♪
下の五十嵐さんとは高校の同級生でした.たまたま思い起こして検索をかけ,曲を聴きながら懐かしい思いに浸って...コメント欄を見たら知った名前が.もう36年経ちましたね.でも,夏休みお盆1日しか休まずに毎日練習した日々,ブラバンにはあまり向いていたとはいえなかった私ですが,それも今では懐かしい思い出です.大会でリアルタイムで聞いたディスコキッドもこんなに息の長い曲になるとは思いませんでした.二十歳のブラスの知り合いに聞いてみましたら,即座に知ってるという返事があり,リアルタイムの世代を少し自慢することもできました(笑)私は2年の前期でリタイアしましたが,あの時の仲間たちはどうしているでしょうね?たしかオーボエをやっていた後輩の一人はかなり有名な作曲家になったのは知っていますが.
昭和57年ごろに中学生でした。吹奏楽部ではありませんでしたが、壮行会や体育祭で吹奏楽部が演奏していた思い出の曲です。やる気を出してがんばりたい時に聴いてます。
何回聞いてもいい曲です。吹いたことある人は分かると思いますが行進曲なので若人と雷神の繰り返しが基本ですが、ずっーとやってるといいですよね。特に繰り返しでまた最初に戻るのがとっても好きです。
おやっ,小野寺君,久しぶり。こんなところでお会いするなんて,なんて懐かしい!五十嵐の,げんじいです。
今から42年前の中学2年生の時にTubaを担当。暗譜するまで練習したので、今でも指使いを覚えてます。トリオ導入部分からの演奏は楽しかったです。
42年前のBの部、県大会の金止まり(ダメ金)でした。この時期になると、夏休み返上で練習に通いつめた中学生時代を思い出します。
吹奏楽でスネアドラムを担当していました。他の部活の子達から「小太鼓、カッコ良かったよ!」と誉められて嬉しかったです。
私も高校二年生の時に、コンクールの課題曲で演奏しました。思い出深い名曲です。
学生時代の永遠の行進応援曲🎵
これ課題曲だったんですね。運動会、朝礼の時の退場の音楽などに便利に使わせていただいていました。「今日の退場の音楽は若人ね」てな具合に。おかげで、本当の課題曲と同じくらい懐かしい。
2級違いの弟が同じくブラバンで、この曲やってていいなあ。自分も演奏したかったなあと思いました。名曲です♪
36年前,高校1年生。自分の学校は開校3年目でコンクール初出場。自分はクラリネット始めて3か月,5人の1年生クラリネットで右も左もわからない中で,よくやったなあ…。先輩方はきっとディスコキッドとかやりたかっただろうに(当時から話題の曲でした),そんなこと一言も言わずに弱小クラ・パートにつき合ってくれました。ほかのパートの音を聴く余裕なんてあるわけないし,自分のこと&自分のパートのことで一杯一杯でした。県大会に行けて,幸せでした。
運動部の壮行会といったらこの曲でした。懐かしいです。
当時の彼女がスネアをやってたなあ
明日、市総体の開会式で吹きます!課題曲なんですね!知らなかった…
すでに中総体応援曲でした!ホルンF管サードオンリーで☀
小学管乐队练习的曲子,怀念
中学生のとき吹奏楽部に途中入部するきっかけになった曲です。
今、吹奏楽部で練習してます。トランペットパートです🎺💓セカンドやってます。
この課題曲が全国大会へ出場する部門には無関係とされたのが残念でなりません。現在の課題曲の中の一つとしてA部門で日の目をみるという英断を吹奏楽連盟がすることができれば素敵だと思いますが…。
懐かしいなぁ♬.*..。o♡゚・:☆。.:*・゜♪
入学式、卒業式の入場曲として使っていました。
ディスコキッドよりこっちやりたかった
吹奏楽はマーチが元となって出来ているのだ。なんか久しぶりに見に来たらめっちゃ断言してて笑ったw
鉄道ファン的音楽情景解釈=北海道塩狩峠の冬雄大だが厳しい北の大地。弱地盤と酷寒地ゆえの難工事と多大な犠牲もいとわずに建設され、その開拓期には大勢の入植者を受け入れ、勃興期には石炭や農作物、酪農製品を運び、成熟期には多くの旅人を誘ない続け、凋落期には中高生らの通学を支え、上京する若者や故郷を捨てて都会へ出て行く家族を送り出し、厳冬の豪雪の朝も滅多に遅れることなく、僅かな乗客を乗せて逞しく走り続けた北海道の鉄道と、愚直なほど体を張って、律儀に今日までそれを守り続けてきた、不器用な北の鉄道員たち。かつて、蒸気機関車がプッシュ・プルや三重連で闘った塩狩峠も、現在では最新型のディーゼル特急が一気に越えてゆく。しかし、ここでの出来事を知る者は、列車が峠に差し掛かるとき、鉄道員長野政雄の献身的行いに対し、感謝と追悼の黙祷を捧げるのだった。長野の殉職から100年が経った2009年8月下旬、名も無き旅人が顕彰碑に手向けた花束が、早くも道北の秋の気配を運ぶ、冷たい北風に耐えて、精一杯に咲いていた。と、こんな情景だろうか? 日本スーザ協会会員 国際(英国)軍楽協会会員
Aの部では選択出来ない珍しい曲
そういえば、この年の函館地区吹奏楽コンクールのプログラムに、この曲が課題曲として記載がなかった。函館地区は早い段階からB,C編成に課題曲は課していなかった。
これのトリオに歌詞があって皆で歌ってた学校があった、
この回の課題曲は前年度とは違って、中学がAかC、高校以上がBかCという選択で、この曲は小編成(地域によってはB・C編成)向けの課題曲として用意された曲である。全国大会向けの課題曲ではなかっただけに、もし、前年度みたく、4曲のうちから1つ選択できるという形式だったら、演奏していた団体もあったはずである。例えば、阪急とか。この曲の調性はヘ短調で始まり、トリオで変ロ長調に転調する。トリオは主題で使用されている調の「下属調」に転調するという慣習からいって、本来変ロ短調になるはずが、変ロ長調にひっくり返すという技法はこれまでになかった、と思うでしょう。実はホルストの「第二組曲」のマーチはヘ長調で始まって、変ロ短調に転調している。この技法を藤田先生は知っていたのかなあ。この頃の課題曲はホルストへのオマージュは結構あることに気づく。「ジュビラーテ」の冒頭部分は木星の冒頭部分を彷彿とさせるし、「ポップ・ステップ・マーチ」は第一組曲のマーチを彷彿とさせますよね。
中体連の開会式だーーーーーーー
ねえ、覚えていて欲しい、誰かに。そんな心があるからこそ、こんなマーチが生まれるのです。自分が認められる為の作曲、じゃない。きっと。
中学の体育祭の行進はこの曲を吹部が吹いてたな〜スネアうるせんだよー!って怒られてた😅
体育祭の入場曲( 笑 )しかも大昔の吹部のだから…(´・∀・`)
初めてBに出場した時の課題曲こっちは良かったが自由曲が駄目駄目だった。
2:30
この曲は、自分が中学2年の時に吹いた曲で、50歳を越えた今も、音楽の原点です。
チューバの人が楽しそうに吹いているのが目に浮かびます!
作曲の藤田玄播先生から直接教わりました。
一ヶ月に一度会うか会わないかという生徒の名前を覚えて、
いつも<名前>で読んでくれる偉大な先生でした。
数年後お会いした時も、「おお○○!」と名前で読んでくれました。
心、ですね。
「心」。
またお会いしたいです。
暗くなったり明るくなったり、まさに思春期の若人という感じが曲調から溢れていて、ノスタルジックで心惹かれる大好きな行進曲です。
群馬では中体連の開会式入場で使われています
私は中学時代にオーボエでやりました
ちなみにオーボエはフルートやクラリネットと同じような役割をしています
今じゃもうコロナの影響で出来ないけどね…。
というか確か今年のだいでもう、なくなってしまったような気がした
イベントある度にこの曲か
星条旗か士官候補生か海兵隊でした
次!若人!って顧問が嬉しそうに叫ぶの。んでこの曲を吹く。
懐かしいなあ!
中学校の教員として吹奏楽部の指導にあたるようになって3年目の夏。コンクールには,県内大会のみのB部門にやっとこさ出ていた弱小バンドでしたが,この曲を選んで,初めて〈最優秀賞〉をいただいた思い出の曲です。私自身も,オンタイムでこの曲と出会ったわけではないのですが,おそらく大学の吹奏楽の授業で演奏したとき,どこかもの悲しいメロディーとトリオの美しいメロディーとの対比がとても印象的で,いつか自分でも演奏したいとおもうようになったのだと思います。この年の部員は,部長をはじめ,みんな真面目で,積極的に取り組む優秀な生徒たちばかりで,それにこのすてきな曲を選ぶこととにより,良い結果を得ることができたのだと思います。副顧問をしてくださっていた女性の先生がご結婚され,なんとコンクールの日が新婚旅行……。楽器運送のトラックから,部員を[運ぶバスの手配まですべて一人でやった年でした。あぁ。懐かしい……。20年以上前の思い出の曲です。
これぞジャパニーズマーチって感じ。初めて吹いた時にいつか聞いたことのある様な懐かしさを感じました。
あ~懐かしな
群馬県中体連
柔道部で行進したわ~(^○^)
この曲大好き
中学時代、吹奏楽部に所属し、トロンボーンを担当していました。
若人の心は卒業式に吹奏楽部の後輩が入退場の時に演奏するのが何故か定番でした。
今思い出してみると、吹奏楽部で過ごし学んだ事は幼い頃から歌や楽器が大好きだった私にとって
一番楽しかった時期だったかもしれません。
忘れかけた自分の卒業式や
憧れていた先輩を送る時の切なさ等を物凄く思い出しながら聴かせていただきました。
当時、ピッコロを吹いていました。
30年の時を経て初めて藤田先生にお会いした時、当時の事をお話しすると、ピッコロのアドリブ部分を口ずさんで、「あれは、いい曲だった。懐かしい。」と笑顔で仰ったのが忘れられません。
楽譜は既に有りませんが、またいつか吹きたいです。
やはり中体連の入場行進、炎天下の中ひたすら吹きづづけていたのを思い出します。まだ中学生で演奏技術も未熟だった中で、それでも運動部の入場を見守りながら本気で吹き続けた。青春の曲です。
とても懐かしい曲ですよ。中学3年の時吹きました。今でも暗譜していて多分吹けるないな‼️機会があったらまた合奏したいな~!機会がないよね‼️
入場行進に使っていたためエンドレスで吹き続けた記憶があります。軽く死にかける思いを毎年年に数回。もはやこの曲聴くだけでも息苦しくなる…。それでも懐かしくてなんだか込み上げてくるものがありますね。
1980年代前半、中学時代の3年間、吹奏楽部で何度演奏したか...
1977年の課題曲だったんですね。
今は楽器を吹いていませんが、とても懐かしい響きでした。
アップ、ありがとうございます。
高校生の時、Euphでこの曲に参加した記憶があります。何と言ってもこの曲はTubaが目立っているのですが、導入部分に続く第一主題はEuph,Tbなどの低音楽器で始まるところが印象的でした。この部分では普段主旋律を担当するTpはまるでオーケストラのTpのようにリズムに徹しています。第一主題の繰り返しの部分では、Euphは主旋律の座を譲り、いつものようにカウンターに回るんですが、印象深く、躍動的な対旋律でした。本当に青春期の若者の心象風景のように揺れ動く旋律に心奪われる名曲です。トリオの明るいメロディーにもEuphは参加しており、とても気持ちよくフィナーレへと突き進みます。曲中数回繰り返す第一主題においては、Euphのカウンターの音型が微妙に異なっている箇所があり、うっかり間違えて指揮の先生に指摘されたことを懐かしく思い出します。
1977(昭和52)年全日本吹奏楽コンクール課題曲Dなのだが、中学ブラスバンドに
入部した年に、ブラスバンド部が廃部になり、学校側から、お情けで、コンクールの
地区予選+県大会に出場して、銅賞で悔いが残ったが、俺にとっては、
最初で最後の思いで深い、楽曲でもある。今ではあまり演奏されないが
此処で、聴けて、昔を思い出した。アップしてくれた、ユーザー様に、
この曲をアップしてくれた事に感謝してます。ありがとう。。。
中一の時の課題曲で、弱小吹部でチューバが初心者の一年生しかいませんでした。これを聞いて今思えば、どうやってあんな大きな音で一曲通せたのか、本当に驚きます。
田崎くん、あなたは偉かった!
完成度の高い曲です。
曲目もぴったり。
心に響く曲に時代は関係ないですね。
中学時代、運動会やお祭りのパレードで演奏したのを覚えています。
2.3年がコンクールの練習している間、1年生は別室でこの曲練習してました。
今聴いてもいい曲ですね。
今年一年を思い出す中で、忘れられないのが藤田玄幡先生がお亡くなりになられたことです。温かい心で指導してもらった思い出が蘇り、もうお会いできないかと思うと、最後にお会いしたく、お別れに行ってきました。出棺の時、みんなで合奏し歌ったのがこの曲です。
いつまでも心に残るこのメロディーです。
1979年に函館の私の母校にやってきたことがあります。
コンクールではディスコキッドを吹きたかったけど、私の学校はドリアンラプソディーでした。
でもこの曲は別口で覚えさせられたような記憶が…
今聴くと、『ザ•行進曲』ですね♪
RUclipsでこうして聴けるようになってから、この曲に歌詞がある事を知りました。
本当に名曲だと思います。
懐かしい・・・涙が出てくる・・・
めちゃくちゃ懐かしい曲に巡り逢いました😂
中学生の頃の想い出です。
スネアのリズム、今でも覚えています🎵
いやぁ懐かしい~高校時代何回も吹いたっけなぁ~ちなみに僕はTbでした。日本の数ある行進曲の中でも、名曲のひとつだと思います。藤田玄旛先生のセンスの良さですよ!
私はユーフォでこの課題曲をコンクールで吹きましたが、演奏しやすくて気持ちよかったですよ。特に間奏の部分です。
う~ん身に染みる良曲‼
やったやった、このマーチ ! 中学3年のコンクール思い出します。この前当時の顧問の先生に出くわし、検索・・・・ちょ~~~感動。 ユーホのパート 今でもしっかり 覚えてる!!!
私の吹奏楽の原点、何十年ぶりに聴けました。青春が蘇りました。
今年脳の疾患で亡くなった弟の思い出の曲です。新品のパソコンで何も検索もしないで出てきたのはビックリです。もうろうとする意識の中曲を聞かせると口ずさんでいたのを思い出し涙です。
ディスコ・キッドと同じ年の課題曲だったんだよな…これって
行進曲の定番。
吹奏楽部の私は、毎年この曲を演奏して今年で3度目。
改めて、良い曲だなと思った。
課題曲でした。中学時代テナーサックスを吹いてました😊懐かしく思い出深い素晴らしい曲です♪
下の五十嵐さんとは高校の同級生でした.たまたま思い起こして検索をかけ,曲を聴きながら懐かしい思いに浸って...コメント欄を見たら知った名前が.もう36年経ちましたね.でも,夏休みお盆1日しか休まずに毎日練習した日々,ブラバンにはあまり向いていたとはいえなかった私ですが,それも今では懐かしい思い出です.
大会でリアルタイムで聞いたディスコキッドもこんなに息の長い曲になるとは思いませんでした.二十歳のブラスの知り合いに聞いてみましたら,即座に知ってるという返事があり,リアルタイムの世代を少し自慢することもできました(笑)
私は2年の前期でリタイアしましたが,あの時の仲間たちはどうしているでしょうね?たしかオーボエをやっていた後輩の一人はかなり有名な作曲家になったのは知っていますが.
昭和57年ごろに中学生でした。吹奏楽部ではありませんでしたが、壮行会や体育祭で吹奏楽部が演奏していた思い出の曲です。やる気を出してがんばりたい時に聴いてます。
何回聞いてもいい曲です。
吹いたことある人は分かると思いますが行進曲なので若人と雷神の繰り返しが基本ですが、ずっーとやってるといいですよね。
特に繰り返しでまた最初に戻るのがとっても好きです。
おやっ,小野寺君,久しぶり。こんなところでお会いするなんて,なんて懐かしい!五十嵐の,げんじいです。
今から42年前の中学2年生の時にTubaを担当。暗譜するまで練習したので、今でも指使いを覚えてます。トリオ導入部分からの演奏は楽しかったです。
42年前のBの部、県大会の金止まり(ダメ金)でした。
この時期になると、夏休み返上で練習に通いつめた中学生時代を思い出します。
吹奏楽でスネアドラムを担当していました。他の部活の子達から「小太鼓、カッコ良かったよ!」と誉められて嬉しかったです。
私も高校二年生の時に、コンクールの課題曲で演奏しました。思い出深い名曲です。
学生時代の永遠の行進応援曲🎵
これ課題曲だったんですね。運動会、朝礼の時の退場の音楽などに便利に使わせていただいていました。「今日の退場の音楽は若人ね」てな具合に。おかげで、本当の課題曲と同じくらい懐かしい。
2級違いの弟が同じくブラバンで、この曲やってていいなあ。自分も演奏したかったなあと思いました。名曲です♪
36年前,高校1年生。自分の学校は開校3年目でコンクール初出場。自分はクラリネット始めて3か月,5人の1年生クラリネットで右も左もわからない中で,よくやったなあ…。先輩方はきっとディスコキッドとかやりたかっただろうに(当時から話題の曲でした),そんなこと一言も言わずに弱小クラ・パートにつき合ってくれました。ほかのパートの音を聴く余裕なんてあるわけないし,自分のこと&自分のパートのことで一杯一杯でした。県大会に行けて,幸せでした。
運動部の壮行会といったらこの曲でした。懐かしいです。
当時の彼女がスネアをやってたなあ
明日、市総体の開会式で吹きます!
課題曲なんですね!知らなかった…
すでに中総体応援曲でした!ホルンF管サードオンリーで☀
小学管乐队练习的曲子,怀念
中学生のとき吹奏楽部に途中入部するきっかけになった曲です。
今、吹奏楽部で練習してます。
トランペットパートです🎺💓
セカンドやってます。
この課題曲が全国大会へ出場する部門には無関係とされたのが残念でなりません。現在の課題曲の中の一つとしてA部門で日の目をみるという英断を吹奏楽連盟がすることができれば素敵だと思いますが…。
懐かしいなぁ♬.*..。o♡゚・:☆。.:*・゜♪
入学式、卒業式の入場曲として使っていました。
ディスコキッドよりこっちやりたかった
吹奏楽はマーチが元となって出来ているのだ。
なんか久しぶりに見に来たらめっちゃ断言してて笑ったw
鉄道ファン的音楽情景解釈=北海道塩狩峠の冬
雄大だが厳しい北の大地。弱地盤と酷寒地ゆえの難工事と多大な犠牲もいとわずに建設され、その開拓期には大勢の入植者を受け入れ、勃興期には石炭や農作物、酪農製品を運び、成熟期には多くの旅人を誘ない続け、凋落期には中高生らの通学を支え、上京する若者や故郷を捨てて都会へ出て行く家族を送り出し、厳冬の豪雪の朝も滅多に遅れることなく、僅かな乗客を乗せて逞しく走り続けた北海道の鉄道と、愚直なほど体を張って、律儀に今日までそれを守り続けてきた、不器用な北の鉄道員たち。
かつて、蒸気機関車がプッシュ・プルや三重連で闘った塩狩峠も、現在では最新型のディーゼル特急が一気に越えてゆく。しかし、ここでの出来事を知る者は、列車が峠に差し掛かるとき、鉄道員長野政雄の献身的行いに対し、感謝と追悼の黙祷を捧げるのだった。
長野の殉職から100年が経った2009年8月下旬、名も無き旅人が顕彰碑に手向けた花束が、早くも道北の秋の気配を運ぶ、冷たい北風に耐えて、精一杯に咲いていた。
と、こんな情景だろうか? 日本スーザ協会会員 国際(英国)軍楽協会会員
Aの部では選択出来ない珍しい曲
そういえば、この年の函館地区吹奏楽コンクールのプログラムに、この曲が課題曲として記載がなかった。函館地区は早い段階からB,C編成に課題曲は課していなかった。
これのトリオに歌詞があって皆で歌ってた学校があった、
この回の課題曲は前年度とは違って、中学がAかC、高校以上がBかCという選択で、この曲は小編成(地域によってはB・C編成)向けの課題曲として用意された曲である。全国大会向けの課題曲ではなかっただけに、もし、前年度みたく、4曲のうちから1つ選択できるという形式だったら、演奏していた団体もあったはずである。例えば、阪急とか。この曲の調性はヘ短調で始まり、トリオで変ロ長調に転調する。トリオは主題で使用されている調の「下属調」に転調するという慣習からいって、本来変ロ短調になるはずが、変ロ長調にひっくり返すという技法はこれまでになかった、と思うでしょう。実はホルストの「第二組曲」のマーチはヘ長調で始まって、変ロ短調に転調している。この技法を藤田先生は知っていたのかなあ。この頃の課題曲はホルストへのオマージュは結構あることに気づく。「ジュビラーテ」の冒頭部分は木星の冒頭部分を彷彿とさせるし、「ポップ・ステップ・マーチ」は第一組曲のマーチを彷彿とさせますよね。
中体連の開会式だーーーーーーー
ねえ、覚えていて欲しい、誰かに。
そんな心があるからこそ、こんなマーチが生まれるのです。
自分が認められる為の作曲、じゃない。
きっと。
中学の体育祭の行進はこの曲を吹部が吹いてたな〜スネアうるせんだよー!って怒られてた😅
体育祭の入場曲( 笑 )しかも大昔の吹部のだから…(´・∀・`)
初めてBに出場した時の課題曲こっちは良かったが自由曲が駄目駄目だった。
2:30